WORKSCAPE INNOVATION

働く風景を変えていくジャーナル。それが「WORKSCAPE INNOVATION」です。次世代オフィスのコンセプトの開発・研究に長年携わってこられた岸本章弘氏がお届けします。

No.12 日本のオフィスのこれからを探る その2 2012.01.30 up!

<座談会>紺野登×玉井克彦×神河恭介 進行:橘昌邦

<編集後記>

リードタイム  ~ 期は熟す ~

「知識が技術となり、市場で受け入れられるようになるには、25年から35年を要する。リードタイムの長さは人類の歴史が始まって以来さして変わっていない。今日、科学上の発見はかつてないほど早く、技術、製品、プロセスに転換されるようになったとされている。だが、それは錯覚にすぎない。」 
(ピーター・ドラッカー著 『イノベーションと企業家精神』1985 より)

今回の連載で取材したような新しいタイプの働き場所(=「ワークプレイス」)が、どのようなもので、どのような成果を上げているかという知識は、我々が想像する以上に拡がっているように思います。しかし、実際に国内企業が「新しいワークプレイス」づくりに取り組むスピードは遅く感じます。多くの先行事例は海外のものであり、国内は一部企業に偏っているというのが現状かもしれません。

それら先行事例は、昔の「成功者が母屋を大きく」という感覚のものではありません。 それらは具体的な成果も出し、また各種取材資料等を通じて国内大企業のファシリティマネージャーはその方法論と効用を学んでいるのです。それにもかかわらず、実際の「新しいワークプレイス」は勢いのある拡がりをみせていないのです。

そこで、ドラッカーがその著書でまとめた「知識によるイノベーション」の特徴と照らし合わせながら、「新しいワークプレイス」の市場での拡がりを考察し、編集後記にしたいと思います。

紺野先生の著書にあるように、現在のオフィス風景の原型は、工場で採用されたフレデリック・テイラーの科学的管理法(テイラーリズム)を、19世紀後半の大企業統合で増加したホワイトカラーの情報処理に当て嵌めることにより出現しました。 さらに現在の無機質なオフィスビルのイメージは、近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエ設計の「シーグラム・ビル」(NY、1958)(159.6メートル38階建てのモダンな摩天楼)がその起源です。シンプルかつ機能美を備えた四角いビルは、60年代以降一斉に世界に拡大します。このモダニズムといわれる建築の考え方も、工業技術の発展がきっかけなのです。

現在我々がイメージするオフィスビルとその風景は、このように工場管理と工業技術のDNAが生み出したものなのです。

紺野先生は、これら一定の役割を終えた管理方法論と無機質なハードからホワイトトカラーを解き放ち、その役割を変える新しいタイプのオフィスが「時期的には知識経済社会の進展とグローバル化の進んだ1980年代半ば、場所は北欧」において出現し、「それが世界に広まっていった」と分析しています。また、この新しいタイプのオフィスを「知のワークプレイス」と呼んでいます。

この「知のワークプレイス」に関する新しい知識が生まれ始めたのが1980年代半ばであれば、リードタイムを終え市場に受け入れられるのは、2010年から2020年前後ということになります。

取り組みに向けて  ~ 危機と進化 ~

「知のワークプレイス」に関する新しい知識は、加速的に進化しています。 グローバル化と情報技術の進歩は、財務・経理等の数字情報処理や前後の文脈や感覚的なことを含む文章や図柄等の保存・活用、コミュニケーションまでも省力化し、さらに情報や知識の移動と活用を容易にしました。

知識労働者(ナレッジワーカー)の役割は、これら容易に手に入るようになった情報や知識と自らの専門的な知識を組み合わせて、それら全体をどのように活かすかということに比重が大きく移りました。
その結果、ナレッジワーカーが成果を短期間でより効率的に生み出すために、他の専門的な情報や知識に触れられたり、知的ネットワークに繋がったり、或いは文化的多様性に出会える等の機能を兼ね備えた空間が求められるようになりました。

「実用化までのリードタイムが短縮されるのは、外部からの危機がやってきたときだけである。」
(ピーター・ドラッカー前述同著)

日本の社会経済情勢は、トップやミドルマネジメントを含む全てのナレッジワーカーに進化を求める「危機」ともいえます。

ナレッジワーカーが勇気をもって「知のワークプレイス」に取り組むとき、今回の記事が一助になることを期待し、また、取材に応じて下さった先駆者である企業人の方々に感謝をしたいと思います。

パークオフィスラボ編集部

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