WORKSCAPE INNOVATION

働く風景を変えていくジャーナル。それが「WORKSCAPE INNOVATION」です。次世代オフィスのコンセプトの開発・研究に長年携わってこられた岸本章弘氏がお届けします。

No.06 多様な活動を支える集いの場としてのオフィス 2011.07.25 up

文と写真=岸本 章弘(ワークスケープ・ラボ代表)

集まる理由の変化

写真1:ラップトップ型やノート型が登場する以前のPCの時代、それらをネットワークでつないで共有化し、道具や空間と人の関係を柔軟にしたユニークなオフィス。 一段高いところに座る秘書(右の女性)以外は 誰もが自席を持たなかった。

仕事の情報と道具が電子化され、それらがネットワークでつながった今、デスクワークのためにオフィスに集まる必要はなくなっています。オフィスワーカーからも、各人の仕事と生活のニーズに応じて、働く場所や時間を柔軟に選べる仕組みや制度の普及が望まれています。

その一方で、創造的な仕事のためにはグループの力がより重要になっています。多様な知恵と技術を組み合わせ、革新的なアイデアを生み出し、より高度な課題に対応することが必要だからです。そうした仕事には円滑なコミュニケーションと臨機応変なコラボレーションが不可欠であり、集まることが求められます。

このように、オフィスに集まる理由は変化してきています。それでは、これからの企業組織にとって、集まって働くことにはどんな意味があるのでしょうか。そして、そのための場所にはどのような役割が求められるのでしょうか。今回は、そうした視点からオフィスのあり方を考えます。

多くの反対意見から始まったプロジェクト

商売繁盛の神様として知られる花園神社の隣、そして繁華街の新宿ゴールデン街の向かい。そんなユニークな立地にある旧新宿区立四谷第五小学校の校舎をリノベーションし、吉本興業グループ東京本部が入居したのは、2008年3月でした。大阪を本拠とする同社が東京赤坂のマンションの一室に「制作部東京事務所」を開設したのが1980年。当時は10名程度から始まった組織が、いまや東京本部として400名に達しようとしています。その間、数回の移転を繰り返しながら辿り着いたのが、今の場所です。

ここに移転する前は通常のオフィスビルの複数階に分散していましたが、事業と組織の拡大とともに分断されていく空間に不都合を感じるようになり、「広いフロアに集まりたい」と移転を検討していました。そんな折に「歌舞伎町ルネッサンス」を掲げて街づくりをすすめる新宿区からの誘致を受け、この地が選ばれたのです。(写真1-2)

  • 写真1:ゴールデン街に向かい合うエントランス

    写真1:ゴールデン街に向かい合うエントランス

  • 写真2:建物屋上から中庭を見下ろす。

    写真2:建物屋上から中庭を見下ろす。

吉本興業の担当者によれば、移転先の候補地として現地を視察した時の第一印象は、「『気』のない建物」だったそうです。1995年の閉校後の校舎には、一部に埋蔵文化財が保管され、区役所の書類保管場所や会議にも使われ、校庭は撤去された放置自転車の置き場所として利用されてはいましたが、10年間放置された学校であることに変わりはありません。社内からも多くの反対意見がでており、その大半を占めていたのは、歌舞伎町という場所に対する不安と、古い建物を使うことへの懸念でした。

もっとも、関西出身者が多い社員やその家族が歌舞伎町に対して抱いていたイメージには、街の現実を知らない思い込みも多く、先入観を払拭すれば納得してもらうことはできたようです。古い建物の機能や安全性の問題についても、技術的な解決策を立てることが可能でした。そうして議論と検討が繰り返され、最終的には社長の決断をうけて、移転することが決まりました。その背景には、東京でのこれまでのビジネス展開を通じて抱いてきた新宿の地に対するこだわりや、歌舞伎町という街が持つ大阪ミナミにも通じる独特の雰囲気への共感、そして人材育成の場づくりへの期待といったトップの強い思いがあったようです。

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